世界初クオーツ式時計の誕生
諏訪地方は、服部時計店(現セイコーホールディングス)の時計を製造していた第二精工舎(現セイコーインスツル)の疎開先に選ばれました。終戦を迎えると第二精工舎は東京へ戻ることになっていましたが、何とか諏訪に産業を残したいと、昭和21年(1946年)1月に諏訪で初めて女性用5型時計を完成させました。8月には戦後初の男性型10型時計を製造。誠実さと努力のおかげで第二精工舎諏訪工場は諏訪に残り、大和工業(現セイコーエプソン)との協力体制を継続していきました。
それからというもの新しい技術と機械を取り入れ、生産技術の改良を繰り返すことで、生産システムを確立。昭和31年(1956年)には、初のオリジナル設計機械式時計「セイコーマーベル」を発売し、昭和34年(1959年)大和工業が第二精工舎諏訪工場の事業を譲受して、「諏訪精工舎」に改称しました。昭和30年代後半にはスイス製品にも負けない品質の時計が作られていると注目されるようになりました。
「諏訪精工舎」が中でも力を注いでいたのが、クオーツ時計の開発です。クオーツ時計とは、クオーツ(水晶)に電圧を加えると正確に振動するという性質を利用した時計のこと。水晶振動子の正確な振動数を採用することで、これまでの時計よりも格段に精度の高い時計が作れるようになりました。アメリカで発明され、日本ではすでにクオーツ時計が開発されていましたが、当初はその大きさが洋服ダンスほどにもなっていたとか。「諏訪精工舎」では、高精度化、薄型・小型化、多機能化、デジタル化、さらには大量生産を実現するための開発を進め、昭和37年(1962年)には卓上型クオーツ時計の一号機を完成させました。その後も改良が進められ昭和39年(1964年)の東京五輪では、セイコーグループとして公式計時を担当しました。
続いて、懐中型クオーツ時計、クオーツ式腕時計のプロトタイプなど、開発に拍車がかかり、昭和44年(1969年)には、世界初のクオーツ式腕時計「セイコー クオーツアストロン 35SQ」を発売。当時の高精度な機械式腕時計でも日差が数秒から数十秒ありましたが、「セイコー クオーツアストロン 35SQ」は日差±0.2秒、月差±5秒。飛躍的な精度の向上にその名は世界に知られることになりました。価格はなんと45万円。当時のお金では、一般的な自動車が購入できるほどの高価なものでした。
「諏訪精工舎」はこの技術を公開したことで、クオーツ時計が世界に普及し、今でもセイコー方式の技術が世界基準となっています。「セイコー クオーツアストロン 35SQ」はIEEE(米国電気電子学会)に認められ、革新企業賞とマイルストーン賞を受賞しました。